千葉地方裁判所八日市場支部 事件番号不詳 判決
主文
被告人を、懲役六年に処する。
訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、肩書住居地において農業の傍ら澱粉製造業を営んでいるものであるが、商用の途次、屡々、銚子市笹本町九十三番地で駄菓子等を販売していた未亡人木内光子(明治四十五年二月一日生)方に立ち寄つていたところから同女と昵懇な間柄となつて、昭和二十四年十月頃に肉体関係を結んで爾来妾関係にあり、同二十七年三月には右光子との間に幸子の出生を見るに至つたものであるところ、同三十一年一月頃右光子の不審な行状を感じて一旦敬遠するに至つたが、同年二月中旬頃同女の懇請によつてその居宅に赴いたところ、同女から、同女が同三十年十二月頃大崎正博と肉体関係を結んだことがある旨の告白を受け、かつ、右不始末を陳謝して将来過ちを犯さない旨の誓約を得たので、被告人もこれを宥恕してその場は事無く落着するに至つたものの、なお、嫉妬心から同女の身辺を注目して警戒していたところ、その後も、右大崎が人目を忍んで来訪する気配もあり、たまたま、同三十一年四月二十六日午後九時頃同女が右大崎に宛てた返書の下書を見るに及び、同女は過日の陳謝、誓約にもかかわらず、なお、大崎に恋情を抱いて情交関係にあるものと憶測して憤激しながらも、同女に対する恋情に堪えられず、ここにおいて、右両者の関係を絶たせて同女を永く自己の膝下に留め置くには、むしろ、同女の容貌を醜くするに如かずと考え、同月二十七日頃濃硫酸一升を買い求めて自宅に保管していたところ、同年五月七日朝夜間の訪問者の有無を確めるべく裏庭の足跡を注視するような光子の疑わしい態度を見るに及んでいよいよ前記推測に誤りがないものであるとの確信を得るとともに右の企図の実行を決意し、即日自宅に帰つて予ねて用意の濃硫酸約五合(一升びん入り)を携帯のうえ同日午後七時頃前記光子の居宅に立ち戻り、同女と夕食をともにして午後九時頃同家四畳の室に就寝したが、同女の熟睡を俟つて起き出し、それより廊下の箪笥裏に隠しておいた右濃硫酸を台所で有り合わせのジユラルミンの鍋に移し替え、更に、裏側勝手の戸を開け放して、恰も兇漢が外部から侵入したような擬装工作を施したうえ床に入り、同日午後十一時三十分頃左手に右鍋を持ち右側に同衾中の光子の額面を目掛けて右濃硫酸を浴せかけ、よつて、同女の頭部、顔面、頸部、前胸部、背部、両上、下肢の硫酸腐触傷及び両眼角膜潰瘍の傷害を負わせ、その結果、続発した胸膜炎に基く循環機能不全により、同年八月三十一日銚子市西芝町一丁目五百二十八番地内田外科病院において、死に至らせたものである。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
法律に照らすと、被告人の判示所為は刑法第二百五条第一項に該当するので、所定刑期の範囲内で被告人を懲役六年に処し訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用して、これを全部被告人に負担させることとする。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、被害者木内光子は循環機能不全のため死亡したものであるから、被告人の本件傷害行為による硫酸腐蝕傷と右死亡の結果との間には因果関係が存在せず、従つて、被告人は無罪であると主張するので、この点について判断する。
なるほど、医師納富博太作成の木内光子に対する経過概要書と題する書面及び証人内田正雄、納富博太の各尋問調書の記載によると、木内光子は、昭和三十一年五月七日に蒙つた全体表面積の五分の二に及ぶ前示硫酸腐蝕傷のため、同月九日前記内田外科病院に入院して治療を受けていたが、その後順調な経過を辿り、右受傷後八十三日目たる同年七月二十九日には、胸部、背部、及び両上、下肢等約八割以上に及ぶ瘢痕が形成されて治癒し、その余の経過も良好であつたところ、同年八月一日から食欲不振となり、翌二日から右額面の瘢痕形成の結果右下顎は右側に牽引され始め、同月十日に至つては歯列の喰い違いは約一糎、開口も正中線において歯列間約二・八糎で不十分となり、同月二十八日には胸膜炎を続発し、同月二十六日に循環機能不全となり、これがため同月三十一日死亡するに至つた事実を認めることができる。しかしながら、木内光子の検察官に対する前記供述調書、医師内田正雄作成の木内光子に対する死亡診断書、同納富博太の検察官に対する供述調書及び右医師両名の前記証人尋問調書の各記載を綜合すると、右循環機能不全は胸膜炎によつて惹起されたものであること、右胸膜炎は、結核性のものであるが、被害者光子の前記硫酸腐蝕傷による結核菌に対する抵抗力の弱化、右下顎の牽引によつて十分なる食物を摂取できないことによる栄養障害及び被告人の本件犯行によつて蒙つた精神的打撃等によるものであることが認められる。右認定事実によると、被告人の本件行為が無かつたならば、光子の致死の結果が生じ得なかつたことが明らかであるばかりでなく、右の如く重大なる傷害を受けた被害者が胸膜炎、惹いては循環機能不全等の余病の発生を見ることは決して稀有の現象に属するものではないから、本件致死の結果が医学上、余病たる循環機能不全を直接の原因とすることは、被告人の行為と致死の結果との間に法律上の因果関係を否定する理由とはならない。従つて、被告人は、右傷害行為によつて生じた致死の結果につき刑法上の罪責を免れ得ないものというべきであるから、弁護人の右主張は採用しない。
よつて、主文のとおり、判決する。(昭和三二年一〇月二三日千葉地方裁判所八日市場支部)